繊細さんLife

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不登校体験記②不登校ってどうすればやめられるの

不登校体験記①はこちらから

 

休んだからってどうなるの

私の両親はとても理解があるほうで、いつも自由に好きなようにさせてくれましたが、しばらく学校を休むと伝えた時には、珍しく反対していました。「気持ちは分かるけど、休んだからってどうなるの」、「卒業できなくなったらどうするの」としばらくは喧嘩が続きました。

ですがある日、毎日涙が止まらない私を見ていたせいか、ついに夢の中にまで泣いている私が出てきたそうです。そして、その様子があまりにも辛く悲しそうだったようで、「学校には行かなくてもいいから元気でいてほしい」と、学校を休むことを許してくれたのでした。感謝。

とは言っても、私自身も内心はとても焦っていました。というのも、そもそも何が原因かもよくわかっていないのだから、しばらく学校を休んだところで、何も解決されないのではないかと、薄々感じていたからです。

 

答えの見つからない日々

学校を休んでからは、ほとんど勉強もせず、ひたすらやりたいことをやってみる日々でした。映画を見にいったり、一人でカラオケに行ったり、英会話に通ったり。皆んなが学校に行っている平日の昼間に、やりたいことをして過ごす日々は、想像以上に幸せでした。

ですが、やりたいことをやってみても、将来何がしたいかは分からないままでした。行きたい大学を決めるために、たくさん本を読み、色々な分野や職業を調べましたが、なかなかピンとくるものはありませんでした。

そのうち、やりたいことも分からず、勉強する意味も、学校へ行く意味も分からなくなり、これからどうすれが良いのか、ますます分からなくなっていきました。

 

病院に行ってみる

担任の先生が心配して、度々家庭訪問に来てくださっていましたが、年明けに学校に行けないことを伝えると、過去に同じような学生が通っていた、心療内科へ行ってみないかと言われました。

当時は自分が精神的な病気であるとはちっとも思っていませんでしたし、病院なんて行く必要がないと思っていました。しかし、長期で休むと出席率が悪くなってしまうことから、学校へ説明するために、何か休む理由のようなものが必要だそうで、心療内科で診断書を貰えば、問題なく休めるとのこと。

病院へ行くことはかなり抵抗がありましたが、自分や家族だけで状況を改善することに、そろそろ限界を感じていたこともあり、何か少しでも光が見えればという思いで、心療内科へ行くことを決めました。

 

わずかな光

初めての心療内科は想像していたよりも暖かい雰囲気で、先生方もとても親切でした。先生からは、自分自身の感情を抑圧して気付かない「失感情症」ではないかと診断されました。まさか自分にきちんとした病名がつくなんて思ってもいなかったので、とても驚いたのと同時に、「病気が原因だったんだ」と、なぜかホッとしたのを覚えています。

それからは、先生の紹介で、心理カウンセラーの方から何度かカウンセリングを受けました。

それが驚いたことに、「自分の気持ちをしっかり話せているから、失感情症でもないし、病気でもない。薬を飲むと依存してしまうから、飲まないほうがいい」とのこと。心療内科の先生とは正反対の診断だったので、正直少し戸惑いました。

ですが、同時に「あなたは他の人と比べて少し早く大人になってしまっただけで、何も間違っていない。学校だって、行きたくなければ、行かなくてもいい。あなたに必要なのは、自分の本音を大切にすることだよ」と言ってくださいました。

自分は間違っていなかったのだと肯定してもらえたようで、少し気が楽になりましたし、ようやくほんの少しだけ、光が見えたような気がしたのでした。

 

それでも答えは分からない

とは言っても、「自分の本音を大切にする」なんて、高校2年生の私にとっては、とても難しい課題でした。「頑張って学校へ行き、将来のためにいい大学へ行きたい」というのが本音なのか、「学校へは行かなくてもいいから、色々な経験をしてやりたいことを見つけたい」というのが本音なのか、いくら考えても分からなかったのです。

やりたいことも、やるべきことも、やらなきゃいけないことも、当時の私には全てが重要に見えて、結局これからどうすれば良いのか、分からないままでした。

そうこうしているうちに、学校を休み始めてから3ヶ月が過ぎ、担任の先生から「これ以上休むと、3年生に進学できない」と連絡があったのでした。

 

 

不登校体験記③へ続く