繊細さんLife

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不登校体験記①気付いたら不登校になっていた

私は高校2年生の冬に、約3ヶ月間学校に行きませんでした。いわゆる”不登校”というやつですね。

たった3ヶ月かと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私が通っていたのは地域一番の進学校で、周りは皆んな有名大学への進学を目指しているような学校でした。なので、授業についていけなくなっては一巻の終わりだと、当時は1日休むだけでも許されないような雰囲気だったのです。

そんな学校で3ヶ月も休むということは、いわゆる”いい”大学に進学して、”いい”会社に就職するという、当時誰もが目指していた、王道のレールからの脱落を意味していました。ですから、毎日必死になって勉強に励んでいましたし、まさか3ヶ月も学校を休むことになるなんて、夢にも思っていませんでした。

そんな私が、見る見るうちに不登校になっていくまでの体験をここに記し、少しでも、何処かの誰かの何かのお役に立てれば幸いです。

 

小・中学校の頃の私

そもそも、自分で言うのも何ですが、私はいつも、どちらかというとクラスの中でも目立つような存在でした。小学校からバスケを始め、小・中ともにキャプテンを務め、体育祭では体育委員として、全校生徒の前で選手宣誓を行うような学生でした。

友達もそれなりにいましたし、勉強も割と得意な方でしたから、不登校とは無縁の学生生活を送っていました。

 

初めての挫折

その調子で、高校でももちろんバスケ部に入ったのですが、ここで人生初の挫折を味わいます。

入部したての時から1年生にも関わらず、ベンチに入り試合にも出させてもらい、順風満帆だったのも束の間、ある日練習中に起こしたミスをきっかけに、監督にひどく嫌われてしまいました。

それ以来、それまでの日々が嘘だったかのように、試合はおろかベンチにすら入れなくなり、何とか取り返そうと毎日練習に励みましたが、とうとう監督との溝は埋まらず、あんなに好きだったバスケも楽しくなくなり、退部することにしたのでした。

生まれてこのかた、何かを途中で辞めるという経験をあまりしたことがなかったため、当時はひどく落ち込んだのを覚えています。

 

帰宅部になった高校2年

他の部活に入る気にもならず、帰宅部のまま高校2年になりました。

ですが幸い、最初に申し上げた通り、とても厳しい進学校に通っていたため、日々の予習や週末の課題はとてつもない量で、部活がなくなっても忙しい日々を過ごしていました。

勉強に専念し始めたおかげで、有名大学も余裕で目指せるほど偏差値は上がり、いい大学に行き、いい会社に就職するという王道のレールが、確実に近づいていました。

そのうち、勉強への熱はますます高まり、土日も一歩も外に出ずに勉強するような生活を送っていました。親はいつも心配していましたが、「先生は、勉強していい大学に行きなさいっていつも言ってるのに、必死に勉強して何が悪いの」と思っていました。

 

自問自答する2年の秋

しかしある日、天気の良い休みの日のこと。「どうしてこんなに必死になって勉強しているんだろう」という疑問が、ふと頭に浮かんできたのです。そして困ったことに、その問いに対する明確な答えが、見つけ出せなかったのでした。

それ以来「いい大学に行くことが本当に全てなのだろうか」、「他にもっとやりたいことはないのか」という疑問が次々に溢れ出てきて、それまで張っていた糸がプツリと切れたかのように、勉強に手が付かなくなったのでした。

とは言っても、学校には行かなければなりませんし、予習も課題も終わらせなければなりません。頭の中の疑問を必死に押しつぶしながら、何事も無かったかのように日々をこなそうと頑張っていました。

しかし、人間の体は素晴らしいもので、防衛反応が備わっており、脳は騙せても体は正直なのです。机に座っただけで、悲しくもないのに涙が止まらなくなり、原因不明の腹痛で食欲もなくなり、毎日悪夢にうなされて、睡眠も取れなくなっていったのでした。

 

学校に行かないという決断

それから度々学校を休むようになりましたが、当時の私は、王道のレールから脱落することがあまりにも怖くて、どうにかこの状況を打破し、周りの皆んなと同じように普通に生活しなければと必死でした。

心理カウンセラーの先生とも話をしましたが、頭は「学校に行かなければ」と言っているのに、体は「学校に行きたくない」と言っているため、自分でもどうすれば良いか分からず、負のループに陥っていったのでした。「自分は何かおかしいんじゃないか」、「学校に行きたくないというのも本当は逃げているだけなんじゃないか」と、自分を責めれば責めるほど、体調は悪くなっていきました。

そして、担任の先生から、このままだと体を壊すから、少し早めの冬休みを取るのはどうかと提案されたのです。学校を休んでしまったらこれからの将来はどうなるのか、不安でたまりませんでしたが、冬休みを兼ねて1ヶ月くらいなら大丈夫だろう、このままこの生活を続けても何も改善されないだろうという思いから、しばらく学校に行かないことを決断しました。

 

休んでしまったのが運の尽き

その後、予定では年明けの1月には学校に戻るはずでした。しかし不思議なもので、あんなに普通に通っていた場所のはずなのに、しばらく行かなくなると、ただ登校するということだけでも、とてもハードルが高く感じられたのです。そしてそのハードルは、休めば休むほど、どんどん高くなっていったのでした。

それからあっという間に時は過ぎ、気付けば3ヶ月間不登校になっていました。

 

不登校体験記②へ続く